インタビュー 宮健一

宮健一
北海道出身
2008年6月入所

彼は少年の頃、休み時間には教室で小説を読むアニメが好きな大人しい少年
いわゆるオタクだった。
そこから、自ら進んで前へ出る果敢な青年へ成長した頃、遊戯王5D’sのドラガン役にて世に『宮健一』の名を知らしめた道産子声優である。

宮少年の始まりは漠然としていた。
『声優になりたいなぁ』という「何となく」からスタートした夢はその当時、北海道で見るには辛い道のりだった。
今でこそインターナショナル・メディア学院に札幌校があるように「演技」を学ぶ環境はたくさんあるが、 当時の北の大地には、芸能の道を目指すための糸口は少なく演技を学べる場所がほとんどなかった。
当時北海道で催されていたレッスン教室も先の見えるものではなかったのだが

「お前は声がいい。東京に来てみるか?」

そんな折、レッスン教室で出会った一人の講師から電話をもらった。
当時携帯電話も普及していなかった頃、自宅の電話にだ。
これが宮健一の最初の分岐点だと思う。

宮は全てを賭けて東京へ行くことを決めた。
……とは言っても、すぐに声優活動が始まった訳ではない。
北海道で貯めた一年間分の貯金を携え上京すると、まず

『声優をやる前にまずは舞台に立ってみろ』

と勧められ、宮は声優の養成所に入る前に小さな劇団の舞台公演に参加し、すっかり舞台の魅力の虜になってしまう、
そこからは劇団を異動したり客演を経験していくうちに、よき仲間たちとの出会いもあり10年ほど舞台活動を続けていくのだが・・・
節目となるそろそろ10年がたとうという頃 宮はふと気づく。

「お金にならん!」

舞台は楽しいが、楽しいだけではどうしようもないものがお金だった。
そう気づいたとき、まもなく齢三十の区切りを迎えるところだった。

現実が突きつけられたとき、宮は胸の中にしまいこんでいた『夢』をもう一度確認することにした。

「俺は声優をやるために来たんだ!」

この時から、薄れかけていた『声優』と言う職業を本気で目指すことになる。

一念発起した宮はそれはもう意欲的に取り組んだ。
まずは声優事務所に入るところからだ
だが、養成所に入る際の高い壁にいきなり直面した
すでにほとんどの養成所の年齢制限を大きく上回っていたのだ

「ま、だよなー」

現実は現実として受け止めるしかなかった、この時すでにアラサーの宮である。勉強を始める人は十代からすでに始めているのだからこれが通例なのかと思ったのかもしれない。

加えて、探し始めたタイミングも遅かった。
季節は四月。四月といえば、普通の学校ならすでに新学期は始まりクラスメイトとも馴染もうかという頃合いだ。すでに受付は締め切られ来年の受付まで待たなければいけない状態だった。
二重のディフェンスに阻まれつつも、宮はインターネットでサイトめぐりを諦めなかった。そして、根気強く探す宮のもとへ遂に一筋の光が差し込む。
『年齢制限無し、いつでも入所可能!』

それはインターナショナル・メディア学院の売り文句の一文だった。

他に道はない! 宮は迷うことなく入所を決めた。

クラスでは当然、年長の部類だった。しかし引け目を感じる宮ではない。
宮には『長年舞台で培った芝居の実力がある』という自信があったからだ。だから例え「声優の経験がないから」と初級クラスからのスタートになろうとも、くじけることなく邁進した。

インターナショナル・メディア学院には三ヶ月に一度、クラスアップのための『学院内オーディション』と言うものがある。
これは学院のレッスンを受ける者達が必ず通る道だ。
アップがあるならダウンもある、もちろんそのまま変わらない場合も。
皆、日頃の成果を見せるべくその一瞬にかけるのだ。
当然、宮は初めての学院内オーディションを自信満々で受けた。

「お前らとはこれきりだぜ!」

などとクラスメイトの前で宣言までした結果は昇格ならず。

「後から思い返しても恥ずかしいし、それ以上に悔しかった」

だが同時に、ここでふて腐れるのも間違っていると思った宮は

「すいません! 今日からまたお願いします!」

一瞬の恥だと切り替えて、再び同じクラスでレッスンに参加し 次回のオーディションに向けてますます意欲的に学び続けた。

そして待ちに待った二回目のオーディションを三日後に控えた日。
その日のレッスンは初めて受講する講師の方だった。
宮が自信を持って披露した演技に対し、講師の方から一言

「君、声に頼りすぎて使い物にならないねぇ」

紛れも無い全否定だった。
声がいいと言われ東京へ出てきたこと。培った技術を駆使しての演技。
今までやってきたことを全て否定されたようで衝撃を受ける

「もっと普通に芝居をせずにしゃべりなさい」

そんなアドバイスだけを頼りにオーディションまでの三日間「普通」とは「芝居」とは何だ、と死に物狂いで考えぬくのだった。

「もう後が無かったから必死だった。三十過ぎて特に資格も無くサラリーマンは絶対無理。『これが出来なきゃホームレス』と思っていたから。」

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