インタビュー 筒井絵理奈

筒井絵理奈
奈良県出身
2011年5月入所

筒井絵理奈、IAMエージェンシー所属タレントである彼女がインターナショナル・メディア学院で声優として勉強を始めたのは2011年5月。
初オーデションは同年7月、しかもそのオーデションを見事に勝ち取っているのだから驚きである。
きっとそれまでに他の養成所に行っていたり、劇団に所属し舞台への出演を重ねていたに違いないと思ったが、聞けばそれまではシステムエンジニアとして働いていたというのだから驚きである。
声優とSE、似ても似つかない二つの職業。果たして彼女は如何にしてこの華麗なる転身を遂げたのであろうか。

筒井が最初に声優になりたいと思ったのは小学生の頃だと語る。父親が医者という厳格な家庭に育った彼女は、両親から医者になるべく育てられた。
そんな中、声優になりたいという夢を抱いてしまったのだ。
若干12歳だった彼女は勇気を振り絞り、厳しかった母親に自分の思いを打ち明けた。
「お母さん、あたし声優やってみようと思うんだけど」
「あんたバカな事言わないの、何の為に勉強させてると思ってるの」
厳格な家庭に育った筒井にとって、声優とはあまりにも遠い夢だったのである。

その後中学では美術部へ所属し、しばらくは声優とは縁遠い生活を送る事になるが、高校生になった彼女は声優への思いから、放送部へ所属する。
コンテストで賞を受賞した筒井は、やはり自分は人前で喋る事に向いているのではと思い、声優養成所への体験入学へ乗り出す。
だが夢は夢、どうしても声優で生きていく事が現実とは思えなかったのであった。
そして彼女は、養成所ではなく大学へ進学する。当時ホームページのデザインに興味があった筒井は両親を説得し、医学部ではなく情報系の大学を選択する。
大学時代演劇部へ所属はしたものの、彼女は進路として声優を視野に入れず、デザインの仕事をしたいと思うようになっていた。

ここでデザインの仕事へ進んでいれば、声優としての筒井絵理奈は居なかったかもしれない。
しかし、デザイン業界も狭き門であり、気付けば彼女は周りに合わせるかのようにSEとして社会へ出て行く事になったのである。
厳しい環境であったものの、SEとしての日々は充実していたという。
しかし、ある日これが自分のやりたい事だったのかと疑問を抱いてしまう、日々大きくなる思いを抱いていた所に、妹がアイドルを目指す為に上京するという知らせが入る。
同じ厳格な家庭で育った妹がである。彼女が声優の養成所を探し始めるのにそう多くの時間はかからなかった。

彼女が養成所を探した際に重視したのは働きながら通える場所である。
SEは時期によって休みが不定期になる事があり、毎週曜日の決められている養成所に通うのは難しい。
筒井の目に止まったのはインターナショナル・メディア学院の振り替え制度である、都合により出席できない場合は他の曜日に振り返る事ができる。
ここでなら働きながら声優の勉強ができる。そう思った筒井は説明会へ足を運び、ここでは所属タレントを講師として雇う事がある、当時出来て間もないこの事務所には目立ったタレントは居ないという二点から、自分ならここでやっていけると思い、その日中に入学を決めたという。
それが5月である、未経験であった筒井はベーシッククラスに入学するが、二ヶ月後の所内オーディションですぐにアドバンストクラスへ進学する。
時を同じくしてマイクロソフト社の製品紹介のオーディションの話が舞い込む、筒井に取って初オーディションである。
見事このオーディションを勝ち取った筒井は、間をあけずに舞台『裏切りは僕の名前を知っている』でヒロインの前世役という大役を射止める。
更には次の所内オーディションで見事プロコースへの所属を決めたのだった。

しかもデザインの技術を買われ、事務所のホームページ運営、所属ユニット「はにかみ」の広告デザインまで任されているのだから驚きだ。
とてもバランス良く働けていると彼女は言う、しかし一方で彼女は自分の予定よりもまだ遅れているとも言う。

筒井絵理奈、躍進を続ける彼女の目標は3年後にアニメレギュラー10本と力強く語ってくれた。
それは夢を語る目では無く、現実的な目標を話す目であった。そう彼女には声優とは既に現実なのである。